「ちいちい」の愛称で共演者にも視聴者にも愛された俳優の地井武男さん。

地井さんといえばドラマ「北の国から」での中畑のおじさん、そして6年に渡って放送された「ちい散歩」で見せてくれたあたたかな笑顔が印象に残っています。

今回は2012年、惜しまれながらこの世を去った俳優地井武男さんについて、プロフィールや過去の作品などを中心にお届けしたいと思います。

地井武男 プロフィール


生年月日:1942年5月5日
没年月日:2012年6月29日(70歳没)
出身地:日本千葉県八日市場市(現:匝瑳市)
身長:175 cm
血液型:B型
職業:俳優・タレント
趣味:ゴルフと絵画、ウォーキング、絵手紙
特技:軟式テニス


8人兄弟の末っ子。姉が6人と兄が1人。

千葉県立匝瑳高等学校卒業後、石原裕次郎や赤木圭一郎に憧れ、1963年に俳優座養成所へ原田芳雄さんや林隆三さん、太地喜和子さん、前田吟さんなどと同じ第15期生として入所。

1966年に卒業後は串田和美さん、吉田日出子さんらと創立メンバーとしてオンシアター自由劇場でも活躍しました。


その後1968年に岡本喜八監督の「斬る」で映画デビューし、1970年には武田敦監督映画「沖縄」で初主演。

以降、主に映画やドラマで主演から脇役、悪役からマイホームパパまで、幅広い役柄を演じることのできる演技派の俳優として活躍されました。

1974年、元女優の真木沙織(本名:地井佐和子)さんと結婚、1女をもうけます。

真木さんは2001年に乳癌で亡くなられました。

生前の真木さんが助言していたこともあり、3年後の2004年に真木さんとの面識のあった元モデルの女性と再婚されました。


2006年から放送が開始された紀行情報番組「ちい散歩」は、亡くなられた年まで1500回以上を数え、散歩ブームの火付け役となったといわれています。


2012年1月に急に視野が狭くなったため緊急入院。心臓への疾患が見つかったために芸能活動を休止。

2012年6月に心不全のため70歳で死去されています。

『北の国から』地井武男が演じる中畑和夫はどんな役?


「北の国から」で地井武男さんが演じた中畑和夫は田中邦衛さん演じる黒板五郎とは同級生であり幼馴染みでもあります。五郎の子供の蛍や純からは「中畑のおじさん」と呼ばれて慕われていました。

調子がよく口が軽いのが玉に瑕ですが、フットワークが軽く、とても面倒見が良いので慕われる存在。

「中畑木材」や「中畑畜産」の経営者で、仕事や子供の面倒など、なにかと黒板家の世話をし、支えてくれる、家族ぐるみの付き合い。家族のように純を叱るなど、数々の名シーンを残した準主役的な重要な役どころです。


スナックに行くと五郎の話を自分の話のように語るなど、自分を悲劇の主人公にして架空の話をすることから「悲劇サン」と呼ばれる一面も。

お人好しで人情に厚くて涙もろく、真面目だけどどこか抜けている人間味の溢れる笑顔が素晴らしい人でした。


『2002遺言』で妻が癌だと五郎に告げるシーンは、放送される前の年に、奥様を乳がんで亡くしている地井武男さんにとって、非常につらいシーンだったと思います。しかしそれ故に涙涙のリアルな迫真の演技には多くの人が心を打たれ涙しました。

地井武男 北の国から以外の代表作品は?

「どぶ川学級」


1972年12月19日公開の日本映画。

大学三年生の須藤(山本亘)は学費をためる目的で関東鉄工で働いていました。

しかしある時同僚の桑山(地井武男)に誘われ、戦議中の第一組合に仲間入りし、組合員松田(井川比佐志)の子供でグレている明(藤江喜幸)の家庭教師をすることになりました。

明は、勉強を嫌がったものの、母の涙ながらの訴えと、しつこい須藤の熱意に根負けして、勉強をはじめました。

明の仲間の健一(桶田康)は明と須藤に惹かれますが、父親が第二組合員のため意地をはり、誘いを断りました。


いつしか十二人の生徒の先生になっていた須藤。

能力別にクラスをわけるという学校のやり方に怒った須藤と桑山が校長に抗議したことから、地元のボスや、校長等の圧力がかかったことで子供が減っていきました。


健一はそれを知り、こだわりをすて自分から勉強会へと入りました。

須藤と残った七人の子供たちは秘密に勉強会をつづけ、学期末、成績表は上り、それをうちあけられた親たちも勉強会へ通うことを認めました。


勉強会は「どぶ川学級」と名付けられ、新入生を迎えましたが、学力が向上するにつれて、子供の利己心が顔を出し始め…

「太陽にほえろ!」


藤堂係長(石原裕次郎)を中心に、警視庁七曲警察署捜査第一係の刑事たちの活躍を描いたテレビドラマ。

日本テレビ系列で1972年7月21日から1986年11月14日まで15年近くに渡って放送された、全718回を誇る長寿番組であり、日本の刑事ドラマの代表格とも称される作品となりました。


地井武男さんが演じたのは、一見地味ですが、捜査に対する執念は人一倍で、食らいついたら離さないことからスッポンのトシさんと呼ばれている井川利三。

1943年生殉職したゴリさん(竜雷太)亡きあと河南署から七曲署に転属されたベテラン巡査部長である。

彼は家庭を持つ刑事ですが、犯人逮捕の為、息子を囮にさせるという危険な捜査を試みたことで、妻から信用を失い警視庁からも謹慎処分を言い渡されるなど問題が多い事実から子供との不協和音、妻とのすれ違いが生じ家族とは別居の末に離婚します。

しかし事件解決率98%という高い実績からかなり高度な事件に直面し、さまざまなジャンルの事件を難なくこなすのがベテラン刑事のトシさんです。

地井武男さんは本作第19話「ライフルが叫ぶとき」で幼児を人質に立て籠った犯人を演じており、刑事役と犯人役を演じた俳優で、ちなみに地井さん演ずる犯人を射殺したのがトシさんの前任者であるゴリさんでした。

「時間ですよ ふたたび」


TBS系列で1987年6月23日〜1987年8月11日に放送されたテレビドラマ。

下町の銭湯「梅の湯」に集う人々の人間模様を、笑いと涙で綴るドラマで、1965年から始まった「時間ですよ」シリーズの第5弾。

前作から12年ぶりに復活した今回は主演の森光子さん、篠ひろ子さん以外はキャストが一新されています。

とんねるずさん、河合美智子さん、植木等さん、柄本明さん、ケーシー高峰さん、地井武男さんらが共演。


梅の湯の女主人・宝田ウメ(森光子)は朝食を食べながら、姑とそりが合わず戻ってきた娘の弥生(篠ひろ子)と毎度おなじみの母娘ゲンカを始めます。

その時、お手伝いのまり子(真璃子)の悲鳴が聞こえ、行ってみると病気療養中だった番頭の徳さん(植木等)が亡くなっていました。

それを知った立花不動産(ケーシー高峰)が葬儀の日にやって来て、梅の湯と隣の貸衣裳店を壊し、マンションを建てるという話を持ちかけ了承させます。

するとその夜、ウメの枕もとに徳さんの幽霊が現れ、「葬式の翌日の取り壊しはあんまりだ。せめて四十九日まで待ってくれ」と言います。

そこでウメは取り壊し延期を通告しますが、両店とも人員整理したあとです。

そんな時、勝(石橋貴明)、明(木梨憲武)という2人の従業員志願者が転がり込んできます。

地井武男さんは梅の湯の隣で貸衣装店を営む平沼幸三郎という役柄を演じました。

地井武男 田中邦衛さんとの関係は?


2012年に心不全のため70歳で亡くなられた地井武男さん。

葬儀・告別式は近親者で営まれましたが、後日田中邦衛さんらが発起人となってお別れの会が行われました。


田中邦衛さんはドラマ「北の国から」で22年もの間親友役として共演してきました。

田中さんは息子役を演じていた吉岡秀隆さんに付き添われながら地井さんの優しい笑顔の遺影の前に立ち、友への惜別の想いを語られたそうです。

地井にぃ、おいら何度言われてもまだ信じられない
昨年秋には我が家に来てくれたり暮れには贈り物をたくさんもらったり
あれは別れに来たのか?

3か月前の4月には電話をくれた、手紙もくれた
地井にぃゴメンな
会いたいよ、 地井にぃ会いたいよ
すまない・・・

その言葉の一つ一つは地井さんへの愛と別れの寂しさに満ちていました。

もともと出会った頃は俳優の先輩後輩だった二人の間柄はいつしか本当の友情へと姿を変えていったのです。話していると二人とも田中邦衛さんっぽくなってしまうのだとか。


田中邦衛さんは台本をよく無くすそうで、地井武男さん自身が「邦さんの台本をどのくらい探して、そのために時間を費やしたか。本当に世話の焼けるいい俳優さんですよね。」

と語っていたといいます。


旅番組で共演した時も、自然体の田中邦衛さんに地井さんが「タバコ、ほらほらセーター、しょうがないんだよ、面倒見なきゃなんないからねぇ」なんて振り回されていたようです。

まとめ

地井武男さんと言えば、やはり優しそうな柔らかな笑顔が思い浮かび、気取らずバラエティー番組にも出演されていて、演技にしても味のあるどちらかといえば気の弱そうな役がらのイメージでした。

ところが昔はあの松田優作さんに匹敵するようなハードボイルドでクレイジーな役柄を演じていた硬派な俳優さんなのだとか。

地井さんのお別れの会にはあいにくの雨の中、渡哲也さんをはじめいしだあゆみさん、中嶋朋子さん、加山雄三さん、水谷豊さん、野際陽子さん、志村けんさんなど約800人もの人が参列されたそうで、地井武男さんは多くの人に愛され、俳優さんとしても人間としても奥が深い人だと知りました。


以上、
『北の国から』キャストの地井武男を紹介!田中邦衛とはどんな関係だったのか?
をお送りしました。